最高レートと最終レート、どちらがより重要なのか。
構築記事で読者が気にするのは「最高レート」
例えば「最高2100最終1900」の構築記事と「最高最終2000」の構築記事を比べたら、私なら前者を先に読みたい。
「レートをどこで保存するかの判断」は「構築の強さ」とは無縁の要素なので、強い構築を探したい時は構築の最大ポテンシャルである最高レートに意識が行くからだ。
「最高レートは上振れの実力であり、適正レートを表してない」という指摘があるかもしれない。しかし最終レートも上振れた時保存するものならば、結局多少なりとも上振れのレートである。最高最終2000は2000以上の実力があったかもしれないし、最も上振れした値が2000だったかもしれない。
結局構築の強さの指標をレートに頼るならば、最も上振れた値(最大ポテンシャル)である最高レートを基準にするのが妥当かと思う。
信用できるのは「最終レート」
残念ながら、最高レートというのは偽造できてしまう。
前例もあるように、他の人のレート画像をとってくるだけで(バレやすいものの)簡単にレート詐称できてしまう。緻密にやるなら画像編集技術を駆使してうまくでっち上げられるだろう。
その点、最終レートなら偽造しようがないため信用できる。
みんなが書きたいのは「最高レート」
したがって、採用すべきは信用できる最終レートなのだが、多くの人が記事タイトルやプロフィールに書くのは最高レートの方だ。
かくいう私も最高レートを優先的に書くことにしている。だってレート高く見えたほうがカッコイイんだもの。
本人の視点では嘘なんてついていないのだから、私のような最高レートの方を書きたい輩を「信憑性低いからダメ」と言って説得することは難しい。
順位が出るのは「最終レート」
最上位のプレイヤーたちが最終レートを重視するのはこれが大きい気がする。
例えばランキング1ページ目に入るかどうかは重要だろう。2桁順位などになれば順位を強く意識しだすのかもしれないが、私はあまりそのレベルに行ったことがないためか感覚が正直よくわからない。
本来、レートは順位をつけるための補助要素であるし、最終順位に直結する最終レートを重視するのは当然なのかもしれない。
どちらを評価する風潮の方が望ましいか
最終レートを評価する風潮だと、最終日のお祭り感が減ってしまう気がして少しさみしい。レートが上振れた人が保存していってしまうと上位とマッチングしにくくなる。
また、レートを吸収したプレイヤーが消えることで、残った人が奪い合うレートの総量が減ってしまう辛さもある。カイジの限定ジャンケンで☆4つの人が消えてしまうようなものだ。(この例え伝わるだろうか…)
一方で「レートの保存」という要素によって、チキンレース的な面白さが新たに加わっている。『いつ負けても最高◯◯って言えるな』と安心しながら戦うより、『これ負けたら最終がダメになる』とリスクを背負いながら対戦するほうが、楽しみが増えるように感じる。
まとめ
最高レート重視だと…
- 構築記事の読み手に優しい
- 潜り続ける人が増えて終盤のレート対戦が活性化する
- 最高レートを書きたいという欲を否定しなくていい
最終レート重視だと…
- 信用できる
- シーズン終盤の対戦にチキンレース的な面白みが加わる
- 対戦の根幹である「順位」に忠実
おわりに
私は「ぽけっとふぁんくしょん!」の最終レート順には大賛成だ。あのような大勢の人が目にする栄光のランキングにレート詐称の人間が混じりうることは絶対ダメだと思っている。
私が今回作った上位構築まとめ記事で最高レート順を採用したのは、「知名度の低い私の記事がレート詐称を促す心配は少ない」と判断したからでもある。それならたまには最高レート順のまとめ記事があっても面白いじゃないか。
総合的に見て私は最高レート重視寄りだが、どちらにも魅力があるため共通認識にするのは難しいと思う。一人ひとりが好きな方を重視すればいいんじゃないか、というのがいまのところ私の感想だ。
どっち重視でもポケモンは楽しい。